アメリカでの大学生活 デザイナーへの道(自己紹介2) 

今日は。昨日ブログを立ち上げたばかりのAsukaです。

 

生まれたばかりのよちよちブログが半日で100人以上の方に見ていただいたようで感激しております。はてなブログさまの力はもとい、FBのシェアリンクから入って読んでくださった皆様に感謝です。長文・駄文お許しを。

 

さて、初回の記事ではNYの大学にTOEFL浪人をして入ったところまでお話したので今日はその続きを書きます。(*TOEFLをどうやって勉強したのか、語学学校はどうだったのか、在学生活に苦労したことなどはまた別の機会を設けて詳細につらつら書こうと思っています。)

 

 

<アメリカでの大学生活>

Fashion Institute of Technology (FIT)というNY州立のデザイン単科大学(https://www.fitnyc.edu/about/index.php) でコミュニケーションデザイン(いわゆるグラフィックデザイン)を二年勉強しました。(余談:ここのファッションデザイン科はかつてCalvin KleinやMichael Korsなど巨大ブランドを立ち上げたデザイナー達を排出している世界で指折のファッションスクールでNYのファッション業界へのコネも非常に強い場所なので競争も熾烈である。)

私がこのコミュニケーションデザイン学科に入ろうと思った理由はというと、「これからの時代は感情とコミュニケーションビジネスの時代になる」とあらゆる著書やプロの方々のお話を聞いて納得がいったのと、自分個人の理由でものづくりをするアートとは違い、クライアントのニーズに合わせたものづくりをやりたいと思ったからでした。今まで学んだアートをベースに次は他者の目線でものづくりをする段階に進もうと思ったことは我ながら性にあった選択だったと思います。結果論理で説明しながら視覚的要素を生み出して行くことに生きがいを見出すようになります。

ちなみに日本で四年制の大学を一度出ていて単位のトランファーが出来たのでデザインの実習必須科目以外の学科はほとんどが免除になりました。デザインの実習だけに集中できたおかげでアルバイトをして生活費を稼ぎながら勉強を続けることが出来、成績優秀者のリスト=Dean's Listに連続で載ることもできました。在学中の二年間は間違いなく人生史上最も必死に学んだ二年間だったと今でも思います。グループ製作でアメリカ人の年下の学生たちをまとめるリーダー役をやったり、あの東日本大震災が起こって精神的に疲弊したりもしてかなり大変でしたがそれに引き替えて得たもののほうが大きかったです。入学当時の私は26歳で、10歳近く年下のアメリカ人の学生達とのコミュニケーションに苦戦をしましたが、言葉も文化も人種も年齢も違う人達と共に学び交流できた経験は今後の私の人格とキャリア形成に欠かせないものになっています。それらの努力の甲斐もあって2012年には晴れて学校を卒業しました。

と長文になったので本日はここまでにいたします。次の更新では卒業後どのように職を得るに至ったかを書こうと思います。

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母校FITの様子(写真はネットより拝借)