アメリカでコネ無しで転職する。デザイナー編

こんにちはAsukaです。

最近転職をしました。ブログを始めてすでに三週間が経っているのですが、鼻息あらく「週5は更新するぞ!!」と意気込んだものの日々の慣れない業務に疲弊しており、やっと自己紹介以外の記事を更新できるまでになりました。

 

で、今まではウェメンズのジーンズとカジュアルウエアを中心にデザインの仕事をしてきましたが今回の転職先はメンズのデニムを含むストリートカジュアルとスポーツウェアのブランドで、ハリウッドの有名ヒップホッパー達が顧客だということでテンションも上がりやる気がでます↑↑↑(めっちゃめちゃ忙しいです。)

 

 

さて、この6年間で5回の転職をしている私なのでアメリカでの職探しはさすがに慣れました。6年で5回と聞くと「ちょっと多すぎんじゃないの?あんた大丈夫?」という声も聞こえてきそうです。一度2週間でまた転職をしたことがありました。というのも転職してすぐ別の本命の会社から正式なオファーを受け取ったから。まあそれを差し引いたとしても確かに少なくはありません。でも実はこれは驚くような数字ではなく、毎年職場が違う流れ者がアパレルやITなど、”デザイナー”と呼ばれるプロフェショナル達が集まる業界にはたくさん存在します。数ヶ月のプロジェクトを渡り歩くフリーランサーの数も年々増え続けています。

 

 

人が転職をしたい、新しい職を探したいと思う理由。それはその人の事情によってさまざま。意中の企業からオファーがあった、新しく住みたい土地がある、現在の給料に不満がある、上司や同僚とそりが合わない、もっとやりがいのあるポジションを探したい、子供と過ごす時間を確保するため、配偶者の転勤について行くため、新しい職種にチャレンジしたい、健康面での理由、会社の業績があやしい、、などなど。これらは世代や国境を越えた心理ではないでしょうか。

 

 

私を転職に駆り立てる一番の理由はズバリ、その場の仕事をマスターしてしまって成長を感じないとき。自己成長がなければ当然給料も頭打ち、またはスロ〜〜〜〜に上がるだけ。これでは働く意欲も沸きません。成長したいし、報酬だって欲しいですから。

「自分にはこの職場はもう小さい。

こう思ったら潮時です。もっと大きな機会を取りにいくのです。

 

 

あとこういうこともあります。私が最近まで約1年間勤めていた一つ前の職場の場合は社長が交代して経営の方針がガタガタになってて会社の業績がかなり落ちていたのと、そこはとある国籍またはその子孫達が多数集まる会社だったため、私が一人日本人だという理由でフェアな扱いを受けなかったという事情もありました。悲しいかな、こういった環境も21世紀の国際都市に実際存在します。こんな希望を失うような環境にいたにも関わらず、私の頭には「最低でも1年はいないといけない。就業期間が短いと次を探す時に疑われてよくない。」という思いこみが、それはそれは強くこびりついていました。それでも限界が来て結局去らざるおえない状況になったんですけどね。

 

 

今回のことで私は教訓を得ました。それは、

「怪しいと思ったら就業期間を問わず、さっさと逃げなはれ。」

 

 

転職は、慎重に。でも外からわからないことはどうしたってわからない。

だってそこの会社の人事部が言ってくれるわけないじゃん。「ウチ危ないから来ないほうがイイよ。」って。NYからほぼ全ての持ち物を捨てて、大切な友人と恋人と別れてまで転職した初めてのロスの会社でこのような思いをしたことはかなり苦いよい経験となりました。良薬口に苦し!!

 

 

さてさて、

私がどのようにコネ無しで新しい仕事を探す方法というと、

indeed.com

Glassdoor.com

Monster.com

LinkedIn

StyleCareer.com (アパレルのみ)

これらのサイトで毎日検索をかけて目ぼしいポジションを見つけるすかさずアプライ(応募)します。地道でしょ?

あとこれらのサイトやLinkedInのプロファイルを見たリクルーターやエージェントがコンタクトを取ってくる場合も多々あります。ヘッドハントとも呼びますが、私も実際この方法で三回目の転職をしました。今のところIndeedがダントツ面接に結びついているので私は友人たちにIndeedをイチオシしていますがIndeedに出てこないようなポジションもあるので、各サイトにレジュメ(履歴書)をアップしておいて、E-mailのアラート機能を駆使して毎日メールボックスに自分にマッチしてそうなジョブポスト(求人投稿)を送信するようにセッティングしておくと便利です。こうすると職探しの時間を大幅に削減することができます。ちなみに私の経験では2−3月はどうも人間が大移動する時期のようで大企業から中小企業まであらゆる求人が出ています。(企業のレイオフなんかもこの時期によく敢行されます。)

 

 

で、求人に応募して求人を出した会社の担当者から連絡があると給料はいくらほしいのか、デザイナーならどんなプロジェクトに携わってきたのか、面接はいつがよいかなどのやりとりをメールで行います。この時点で会う価値があるのかそうでないのかをお互いがふるいにかけます。(ちなみに私の場合今回希望した給料の額に見合う会社がしばらく見つからず、いっそのこと提示額を下げようか、と考えたほどでした。)そこを乗り越えて面接にのぞみ、そこからあちら(会社側)が欲しいと思ってもらえたらディールの成立、つまりめでたく転職というとこになります。成立しなければ、待たずにつぎつぎ面接に行くのです。このプロセスを踏めばコネクションが無い新しい土地でも職を見つけることができます。

 

 

ちなみに今回ロスでの初めての転職活動だったのですが、企業の密集しているNYのマンハッタンとは違い広大なロスでは面接に出向くだけでも大仕事です。場所によってはすごく遠い。いい会社なのに遠すぎて面接すら断念なんてこともままあります。お昼休みにちょっと面接に行ってくる、なんてことはできません。半日仕事です。まだ仕事をしている場合は職場にバレないように適当な言い訳をしてまとまった時間をあけなければなりません。私のときは時間指定の荷物が届く、病院の検診がある、家族がアメリカに遊びに来る、などなど理由をつけて早退をしていました。

 

 

なにはともあれ、現職もいつまで居るかは天のみぞ知るといった感じですが、晴れて新しい職で新しい分野の仕事に着けたことに心から感謝!また悩んでいた時に相談に乗ってくれた友人や家族って本当にありがたいです。多くの人に支えられて生きています。

 

 

今日はここまでにいたします。もし何か質問がある方がおられましたらコメント欄にて受付いたします。今回も読んでくださってありがとうございました!

 

Asuka


f:id:designer_in_usa:20180425141358j:image 写真のSnoopDoggが着ているジャケットの会社で現在働き中です。

NYで大学を出てデザイナーになる (自己紹介3)

こんにちはAsukaです。

先週金曜日にブログを始めて今日で三回目の記事をアップいたします。

 

前々回から続く長い長い略歴のまとめを今日で終わらすべく書き上げたいと思います。

 

〜自己紹介最終章

<大学を出てデザイナーとして職を得るまで>

アメリカでは大学などの教育機関で1年以上勉強するとOPTという1年間の試用労働許可が申請をした留学生たちに降りるのでそれを使って働いてインターンシップをしてお給料を得ることもできます。わたしはこの1年間の労働許可を使い知り合いのつてをたどってインターンやフリーランスのロゴやWebのデザインなどグラフィックデザインの仕事をたくさん引き受けました。中にも無料同然の仕事もありましたが経験値やコネクションに繋がるならと嬉々として引き受けました。

その間にアーティストが申請できるビザ(O-1ビザ)の準備を着々と進めることにしました。弁護士を雇い、推薦書と過去の個展の履歴をかき集め、あらゆるメディアに露出する努力をし、後ろ盾となるスポンサーを見つけて申請に臨みました。(この頃お世話になった方々には今でも本当に感謝しています。)OPTが切れたと同時に運良く3年のO-1ビザを取得することに成功しました。

そこからフルタイム=正社員の仕事を探し始めて2−3ヶ月後にデニムデザイナーの仕事を獲得しました。Fashion Instituteで同じだった韓国人のUちゃんが「グラフィックならファッション系で受けたらどう?」とアドバイスをくれたのがきっかけでファッション専門のリクルーティングサイト(Stylecareer.com)で目ぼしい会社にレジュメ(履歴書)とカバーレター(志望動機を書いたレター)を送り続け、本当にファッション業界で仕事を見つけたのでした!当初希望していた広告系やWeb系ではなくファッションのグラフィックという考えたこともないキャリアのの切り口でしたが、ここから私のファッション・グラフックデザインのキャリアがスタートしたのでした。

その時私を雇ったのはVigossという新進のプレミアムデニムブランドで小さいながら勢いのある会社で当初何もわからない私が数多くのことをこの職場から吸収させてもらいました。上司にデザインを盗まれたり左遷されたりとつらい経験ももちろんありましたが、ここでの経験をもとにそれからのキャリアが積み上がっていったのは間違いありません。その後私はもっと大きな組織、NINE WESTのデニム部門に転職し、そこからロサンゼルスの強豪ブランドに転職をするに至ります。それらの詳細はまた今後の記事で書いていこうと思っています。

 

本日も読んでいただいてありがとうございました。

 

もしアメリカのファッション業界やデザイン業界で働くことをお考えの方へのヒントや励みになることを願っています。

 

それでは! Asuka

アメリカでの大学生活 デザイナーへの道(自己紹介2) 

今日は。昨日ブログを立ち上げたばかりのAsukaです。

 

生まれたばかりのよちよちブログが半日で100人以上の方に見ていただいたようで感激しております。はてなブログさまの力はもとい、FBのシェアリンクから入って読んでくださった皆様に感謝です。長文・駄文お許しを。

 

さて、初回の記事ではNYの大学にTOEFL浪人をして入ったところまでお話したので今日はその続きを書きます。(*TOEFLをどうやって勉強したのか、語学学校はどうだったのか、在学生活に苦労したことなどはまた別の機会を設けて詳細につらつら書こうと思っています。)

 

 

<アメリカでの大学生活>

Fashion Institute of Technology (FIT)というNY州立のデザイン単科大学(https://www.fitnyc.edu/about/index.php) でコミュニケーションデザイン(いわゆるグラフィックデザイン)を二年勉強しました。(余談:ここのファッションデザイン科はかつてCalvin KleinやMichael Korsなど巨大ブランドを立ち上げたデザイナー達を排出している世界で指折のファッションスクールでNYのファッション業界へのコネも非常に強い場所なので競争も熾烈である。)

私がこのコミュニケーションデザイン学科に入ろうと思った理由はというと、「これからの時代は感情とコミュニケーションビジネスの時代になる」とあらゆる著書やプロの方々のお話を聞いて納得がいったのと、自分個人の理由でものづくりをするアートとは違い、クライアントのニーズに合わせたものづくりをやりたいと思ったからでした。今まで学んだアートをベースに次は他者の目線でものづくりをする段階に進もうと思ったことは我ながら性にあった選択だったと思います。結果論理で説明しながら視覚的要素を生み出して行くことに生きがいを見出すようになります。

ちなみに日本で四年制の大学を一度出ていて単位のトランファーが出来たのでデザインの実習必須科目以外の学科はほとんどが免除になりました。デザインの実習だけに集中できたおかげでアルバイトをして生活費を稼ぎながら勉強を続けることが出来、成績優秀者のリスト=Dean's Listに連続で載ることもできました。在学中の二年間は間違いなく人生史上最も必死に学んだ二年間だったと今でも思います。グループ製作でアメリカ人の年下の学生たちをまとめるリーダー役をやったり、あの東日本大震災が起こって精神的に疲弊したりもしてかなり大変でしたがそれに引き替えて得たもののほうが大きかったです。入学当時の私は26歳で、10歳近く年下のアメリカ人の学生達とのコミュニケーションに苦戦をしましたが、言葉も文化も人種も年齢も違う人達と共に学び交流できた経験は今後の私の人格とキャリア形成に欠かせないものになっています。それらの努力の甲斐もあって2012年には晴れて学校を卒業しました。

と長文になったので本日はここまでにいたします。次の更新では卒業後どのように職を得るに至ったかを書こうと思います。

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母校FITの様子(写真はネットより拝借)

 

アメリカで働くデザイナー  〜ブログを始めました。

はじめまして。Asukaともうします。

本職はファッション・グラフィックデザイナーです。

 

たまにコラムも書いてます。(【世界の働く女性たち】fromアメリカ NYとロス、英語の通じる外国?(1/2ページ) - 産経WEST



今日から本業の仕事だけでなく、インプットとアウトプットの記録はもちろん、情報を発信をすることでまだ会ったことのない人々との交流の機会を増やして人生をもっと豊かにしてゆきたいという気持ちからブログを始めました。

 

内容としては仕事・キャリア・アメリカで生きるには・おすすめの本と書評・ロサンゼルス情報・ファッション・デザイン・アート・グルメ・投資・旅行記などビジネスからカルチャーまで、やや雑記的に自分の好きなこと、情報として有益(だと自分が思う)なとこを日々書いて行こうと思っています。

 

本日は初回なので私(Asuka)という人間について少し書こうとおもいます。

 

 

<自己紹介>

Asuka:現在34歳のファッション・グラフィックデザイナー。大阪府出身。芸大卒。

好きな食べ物はラーメン、パスタ、焼肉、ピザ。趣味は読書、プチ旅行、食べ歩き、執筆、株。飲み友達に国境はありません。目標はパソコン一つで不労所得を得ることと世界中に同じ目標を持つアナーキーな仲間を持つこと。

NYに11年住んで語学学校→デザインスクール(Fashion Institute)→ビザ取得→企業デザイナー職とキャリアを積み去年(2017年3月)より転職のためロサンゼルスに移り住んで一年が経過。ロスのとあるメンズアパレルブランドでデザインの仕事に就ています。今年でアメリカに来て13年目に突入しました。干支も一周回ったところで自分の今までの人生を振り返ると同時に次の12年をどう生きて行こうかなと試行錯誤をしていてせっかく考えたことのアウトプット、調べたことの忘備録をこのブログでやっていこうとおもいます。住み慣れたNYを離れてロサンゼルスに来ていろいろなカルチャーショックを受けましたが基本的に気候がよいのでのほほんと生きていられる土地かなとおもいます。

 

<アメリカに来た理由と始めのころの様子>

京都の芸大生だった2000年代。学業柄、何を作っても単位は取れるものの、このころから人生の意味について考え出すようになる。人生初の大失恋と「自分は一体将来何をして生きて行けばよいかわからない。ここに居ては何も見えないのではないか。」という焦燥感をきっかけに一念発起して留学を決意。英語が話せれば職業や環境の選択も増えるだろうし、アートやビジネスの中心といえばNYだろう、といった考えの他、「海外生活」という未知のわくわくに支えられて一年間アルバイトを掛け持ちして貯めた資金を持ってアメリカへ。一年の留学のあと一旦京都へ戻って復学。卒業後は再渡米をして本格的にTOEFLを勉強開始。1年後に希望大学への出願最低基準点に6点及ばずに一年のTOEFL浪人をしたのち希望大学へ合格。2010年早春のことでした。

 

と語学留学からNYのデザインスクール入学までの略歴をざーっと書いてみました。かなり長くなりそうなのと止めどころがわからないので大学生活については次の更新でまとめようとおもいます。

 

それでは!

 

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ロス郊外Lompocのビーチにて